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12月, 2023の投稿を表示しています
 言葉の展示 本年は個展は1度だけ、岐阜のpandさんで 言葉の個展をしました。 pand さん、この場を借りて感謝申し上げます。 テキストが多すぎるという批判もあれば、テキストと画像が往復できるのがよいとの評価もあり、自分は後者でありたいし、テキストが画像は一致しては、自分の作品ではなくなってしまう。 それでも、やはり、テキストと画像の関係性については、ちょっと考えが足りなかった。 来年は、映像を1本だけ。映像のなかに、テキストを入れていきたいと考えています。 テキストだけの展示、画像を数点で行きたいと考えています。 もう、1年が終わってしまいます。
 秋休みが済んでから炭焼きにいくようなものは 話者 美束出身 古老 秋休みが済んでから雪降りだしてから、欲かいて、炭焼きにいっているものは助けにいかんでもいいという掟があった。 それでも、炭焼きに行く人がいて、雪に埋もれた人があったので、助けに行った。 総寄かけて、親父が急遽、大きなかんじきを竹でつくって。 秋休みがすんでからは、近いところを焼く。30、40俵出る小さな窯で焼いて、冬を過ごした。 朝、早く起きて、暗いうちから木を切っていた。カンカンと音がすると、まだ、おるらしいと思われるのはいやなので、鋸で切った。 お盆のときは、もうひとかまあげようと、した。 お盆前になって吹谷に登ると100ぐらいの窯があった。
なぜ炭焼きを始めたか 話者 新川茂至 さん なたーしゃ、ふじみさんとしげさんの家でフィールドワーク   庭師で、伐った木がもったいないで、それを活用したいということで。 木をほかるところもない。森林組合にもっていくと、銭、払わなならん。 伐った木を炭に焼いたらどうだろうということで、窯をつくったらどうだろう。 窯をつくりだしたら原木がない。山を分けてもらって、いまは、3カ所め。 山は頼んで分けてもらう。 炭焼きにする木は、一番良いのはカシ。 ここら付近はカシはすくない。ここら付近はスカヤマといって、砂が多い。 次はナラの木、ホウソウともいう。熊とかシシの餌だわな。 ナラでも種類があるでね、オオナラ、コナラ。粒を見るとわかる。 今年は月に3はい焼いた。30俵焼いた。 魚を焼くところや、バンガローも買ってくれる。 刃物の焼きを入れるのに、松の木とか、栗といった火力の少ない、クズ炭、そういうものがほしいと県庁から電話がかかってきた。   ほおの木を焼くとふかふかみたいな炭になる。それが結構ある。   固い炭でも、柔らかい炭でも使い用。   火力が強いと、刃物をあかみすぎる。だから、火力が弱い炭ではないと、ということ。 鍛冶屋は松の木の炭をつかった。   A gardener, concerned about the waste of felled trees, wants to make good use of them. There is nowhere to dispose of the wood. If taken to the forestry association, a fee must be paid. The idea is to make charcoal from the felled wood by building a kiln. Once the kiln is built, there is a shortage of raw logs. Currently, we have access to three locations, having requested permission to use the mountains.  The best wood for charcoal making is oak, known as "k
  炭焼き 話者 春日で残る生産者 新川 茂至 さん 昔は、山のあらゆるところで炭を焼いた。100万俵なんて校歌にある。それはおおげさだが、炭窯の煙が美束のあらゆるところで上っていた。 In the past, charcoal was burned in various places in the mountains. The school song even mentions a million bags of charcoal. While that may be an exaggeration, the smoke from charcoal kilns used to rise throughout the area of Bibukambe 4月、雪が融4月けると山に入る。秋は12月、雪が降っていけんようになるまで行った。炭焼きはおじいさんに教わった。春日では、山がない人は、根尾や京都の丹波まで炭焼きに言ったという。新川さんは、竹屋谷や小白谷で炭を焼いた。1俵が12キロだった。300キロは出た。 In April, we would enter the mountains once the snow melted. Autumn activities continued until December when it became difficult to navigate due to snow. I learned charcoal burning from my grandfather. In Kasuga, those without mountains went to places like Neno or Tamba in Kyoto for charcoal burning. Mr. Shinkawa, for example, burned charcoal in Takeyadani and Kobiradani. One bag of charcoal weighed 12 kilograms, and we would produce around 300 kilograms. その土地にあわせた窯をつくる。石がない場合は、歪んだ木で炭もならないような、例えば栗の木を伐ってドイにした。石垣の代わりだ。細かい石がないと、木を割って板がわ
熊を追う 藤原正身さん  名前はポチ。おっかあが柴犬。馬喰やってた尾西の人いちすけさんが、秋田へ牛を買いに行って秋田犬の子をもらってきたのでかけてもらった。 ポチは赤ん坊の時から変わっておったわ。足は長い。これは、大きいなるわと。 猟期になって、おっかも5つになるまで、山鳥と狸はようやった。鹿もぼうのは追った。 で、おっかと、ちんころを連れて熊を探しに行った。ちんころが足元でううううううう。おっかあは、上の方でよく熊の入る穴。足元におった、ちんころが、ふっと下の方に行き、鳴きかけた。雪をかっかっかと掘って鳴くんじゃ。 雪の中から匂いがしたんじゃな。上にいた親がどっと走った。犬どおしやで何かおるという。二人で掘りかけた。熊がおるやわと。棒で雪を掘って、そしたら、中におって。穴が深くて、撃った。おっかあとちんころ二匹で谷にすべっていた。熊は谷からよう上がらんで。そしたら、ちっとおもちゃにせなならんなと見とったら、おっかあと二人でくわえたり、離いたりしておった。それでかんかんに覚えてまった。 ぽちは熊は三千メーターぐらいのところでも知っておった。わしは、あきれてまった。 鼻をこう振って。風が吹くと匂いがする。何か風がくるなと、すると、だあだあだあだあと洞をずっと上がっていく、風が具合ようくると上がっていって、風がそれると、匂いが来ないようになる。すると、匂いがないので、あちこち歩いて、匂いのするところ、探しとるわ。飛び上がったりして。 あんなことをやるのはまず熊じゃで。犬の行く跡をくっついて。そしたら、風がふうと。 鳴きかけた。行ったら、大きな岩の下に、冬でも花あるげな青い枝が大きな岩の下に、でんとあった。これは熊がおるわ。寝床をつくろうとしたが、あんまり青いでつくらなんだなと。 そしたら、犬はもうすぐ横の方へ行って鳴きかけた。こんどはおる鳴き方だ。いったら、だんこうがあって、下は甕やで。だんこうしかないんや。これは上から行くしかないな、と上から行って。犬をぼって、頭出したら、頭撃とうと。なかなか頭を出さんじゃ。 しゃあないで、犬のうしろにちょっとしただんこうがあり、そこへ飛び降りた。そしたら、目の前に頭。ちょっと火をつけて撃ったら、終わりや。頭一発。 熊は頭撃ってないと安いの。商人は、胆のうがほとんどやで。弾の傷があるとあかんで、傷がある弾のあとの血をぬぐってみるわ。に
 ドロマイト鉱山の煙 話者 新川 茂至さん  白っこの下に、ドロマイト掘ってた穴があるでしょ。空気穴といって横に空気が入るところをつくってあった。 秋、空気が冷えてくると、中からぬくとい空気が出てくるでしょう。すると、冷えた空気とあれしてまって、釜のけむりみたいにどおっと上がるところがあったよ。道路から見えた。秋になると、どおっと上がった。 最近はないで、埋めたのか、崩れたのか。 あの穴はハチの巣みたいに、もぐれる穴だけ残して、何階にもなってるって話だけど。みんな、仕事に行ってござったでね。
安土の発電所 新川定琴さん  安土に自家発電所があった。中郷にも市瀬にもあるが、足土は残っている。山城に行く途中に。水路もある。 ごへんさんの父親に聞いたところだが、建設の際は反対もあった。夜は寝るので、灯りは必要ない。 小屋はおごと橋のところに。兄に連れてきてもらった、戦争に行く前だから、兄が16、7の時、ハンドルを回して、水を流すために。その瞬間、ぽわーっと灯りがともったのを覚えている。配電盤があった。    寺で歌舞伎が来た時は、村中で電気を止めろといった。灯りが使えなくなるから。家に電気料金を集金した時の帳簿もあった。掃除をする人もいた。結構な水量になる。
国見峠 藤原正身さん  国見峠の山にある石も川石なんだ。山の石が割れて、かどかどの石ではない。水で擦れてまるうなった石が多い。   春日の土地でも、美束は、昔は、春日の人間じゃないと思う。おそらく、久瀬の方から、尾西の方は人間がすみついた。尾西は滋賀県の方から国見峠を降りていくと、人間のおった屋敷がある。平がある。 国見峠を結構降りたところ。お地蔵さん、うつむいて、けつを撫でると産がつく、そこに鍋割という坂もある。そこに部落があった。平になってる。地蔵さんにそなえに行くのに、鍋でさげていったら、道が悪くて転んだりして鍋が割れたで、鍋わり。お地蔵さんより下に集落があった。何軒もじゃない。 それより下へ降りていくと、滋賀県から道路がついている。あの下は悪いと言ったら。熊を追っていくと、あそこへいくとあきらめた。犬も使えんような滝ばっか。ちょっと上を道路がきてる。親知らずという所。あんまり場が悪いで。そこの上に、平がある。    谷があると平がある   急な谷があるということは、どこぞにまるところもあるということ。倉の谷も滝が八つかそこらある。奥行くとまるいとこじゃ。  急になるで、自然と平ができる。
  セタの上 美束 女性 私が小さいで、父さんが山にいくやろ、山に行くとき、 坂道に私を負んでね。山へ行くんやて。荷物の上に、セタに背負って、あがっていく。 セタの上でお父さんの息が聞こえて、 お父さんえらいで、私、降りようかしら。 私降りようかしらと思った。 あれは、3歳ぐらい。 お父さん、あんまり、えらいで降りようかしらと思った。 言わなかった。まだ、草履もはいとらんで。 よう忘れん。
 鉱山について 話者 清尾さん 2023 7 6 北伊吹鉱山に。 線をひいて、おろすところをつくって、中郷にお墓が立っているけど、そこに水車をつくって、長石を粉にする機械があった。臼がまわって、石がごんごろごんごろまわって、ちゃわんにぬる材料。ようけいでないもんでやめてまって。 東谷をのぼって、熊坂から、大平というところがある。起点は大平という、くさわら、いまは木が生えていると思うが、そこに事務所をつくって、そこから山へ弁当持って、通ったりしたんじゃ。 八畳岩、戸棚岩、八滝。全部調査しとるで、あそこらにも脈あって、掘ったりなんかした。あの谷と竹屋谷。 大岩谷に三十トンぐらいの岩があってね、それに、こんな荷をおろす線を生木やらに巻いて、そいつを基礎に下へ引いておりたった。 線は下へ落ちてはおったけれど、まんだいまでもあると思う。川に大きな大きな岩があるじゃ。そいつに、二重か三重に巻いて、とめる。 その当時は竹屋谷の入り口が終点だった。そこまでは、炭を焼いてもセタで持ってきた。そこからは車で出たけどね、その当時は炭屋さんしか車がない時。そこまではオンで、大八でする時代じゃったで。 大岩谷の山の名前は射能山。 その山のふもとまではいかんが、降りてきて、ちょろちょろ流れるところだった。 長石とかあるのは、石がまじって、厚みがあるが、その下は壁だった。掘り下げると壁があるというのが想定じゃったが、なかった。そんで、脈がどういうようにとっているという調査をするとい行っただけじゃでね。初めの7カ月行っただけじゃ。 鉱脈というのは走るじゃ、山へ下りようが登ろうが、まっすぐ行くじゃ。ほんで、掘ってみてあると、ここもあった、ここも出ると。 山超え、谷超えて、脈を探して歩いた。 深いところは、3メーター、4メータって穴掘って。泥上げてみてね。 筋だけはあるんじゃどこでも。本当に、雲つかむような話じゃけど。 鉱山師もおったけど、雲母はかなり含んどるって。 ウランは量産できる量ではないが、入っておると。ウラン花崗岩のなかに入っとるじゃ。 350円もらっただけじゃが、盆から秋までの予算が70何万だったと。千円札をリュックに入れて負わされた記憶がある。ピカピカの銭を。見るだけでも目の保養になった。 田植えを住んでから11月まで雪が降るで、しまって。そのあくる年から線、張った。 美束の人が行ったが
 釣鐘の出征 話者 中瀬出身 古老 昭和19年の6月 頃。長光寺の鐘も出陣用意のため、赤たすきをかけて。 釣鐘をおろして赤襷をかけて。寺本の六社神社に集まったのを見ている。 その時分は細い細い道を皆さんが、つきおろしていったんやでね。 日坂林道まで降りてくると、荷車に乗せたじゃろうと思う。 寺本の六社神社に5カ寺の鐘が並んでいたのをわしは知ってるわけなんじゃが、赤襷をかけて。 鐘道は鐘でバランスをとっているで、鐘の替わりに大きな石をぶらさげてあったが、 バランスをとるあめに、どこのお寺さんでも。 これを知っているのはわしだけじゃ。 噂では四日市の鋳物工場にあった。門徒の誰かが見に行ったがよう探さなんだ、と。 中瀬は門徒が足りないで、ほうがんした。 市場まで鐘を迎えに行った。わしのおじいさんがすぎいちと言う人やが、ワイヤで吊り下げた。
 赤泥こんば(型ということ)              話者 中瀬出身 古老   窯をつくるのに必要な赤泥がないことがある。赤泥は一か所にないから。 赤泥がでるところを赤泥こんばと言う。炭焼きの窯をつくるときに、赤泥がないと、隣の山などに、借りに行く。 借りに行く時は、厳格なもので、羽織はかまに裃で、弓張提灯をつけていく。 「あそこで炭を焼くが、お前さんの山を掘らしてもらっていいじゃろか」と許しを得て、言葉をちゃんとかけた。頼みごとをちゃんとする。 夕飯がすんだ時分に頼みに行く。「どうしてもあかん、頼む」と。 若僧がいってもたわけにされるだけ。 型があって、厳格さがあって、秩序が保たれていた。 2023 12月