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10月, 2016の投稿を表示しています

大平八滝 竹屋谷を尋ねる

大平八滝の隣の竹屋谷は熊も出るので、入山には注意が必要である。 美束で大平八滝を広めている山口夫妻とともに滝に入った。 それぞれに見ごたえのある滝である。 自分は、ちょっと恐ろしい気がする。 岩の形が、龍を思わせた。夫妻の写真には「猫様」が写っていた。 また、一番、上の滝は観音様がうつっておられるということであった。

美束 山の講

大平八滝のある美束寺本の山の講 キチンボを藁でつくってお供えする。 山の神様は女の神様である。 その日は、山へ行って木を伐ってはならない。 ある人の祖父がその日に山に入った。大きな岩の上から、来るなと蓆をふった人がある。その岩は5、6メートルで今でもある岩だ。 美束の場合、キチンボはまず藁を丸くつくる。   このように編んで、から丸める。 このような形にもして、中に魚を入れる。 完成。 集落に見せて回る。

美束 太鼓踊り 大平八滝

今回は、大平八滝のある美束集落の太鼓踊りについて写真で紹介しよう。 今年は11月5、6日が春日村の太鼓踊りの最終日となる。 真ん中の人をザイと言う。2メートルばかりの竹をふる。ザイをやるのは、中学まで。いまは、子供がいる。昔は、村中の名前を御幣の中に書いて、拾い上げてもらった。おみくじだから、やりたくてもできなかった。  太鼓は7キロ。前の大きい太鼓は大事。  鎌倉踊りとも言うのは、「鎌倉殿の お前に 」の言葉によって、呼ばれるそうである。 お宮さん入る時は、このように傾ける所作をして入る。  お宮さんではこのように迎えられる。このときは、息がぴったりであった。

大平八滝 美束 津島神社

長者平近くに津島神社がある。ここを過ぎると日坂への峠となる。 集落から1里、歩いて40分ほどの人里離れたところになぜ、このような立派な神社があるか不思議に思ったが、それは現代の価値観でしかない。ここは、この前までの往還である。  ある日、長者平への道を歩いているとスーパーカブにおかもちをくくりつけて、神社にやってきた人にあった。その人は神社に花をあげたり、水をかえたりして帰るところだった。 夕方だった。  集落の禰宜さんなのだろう。山仕事も終わり、夕飯を前に、神社までスーパーカブでやってきたのだと思った。  集落と時代によって、禰宜の仕事はきつい。四つ足を食べない、水垢離は以前ほどではないが、定期的にかぶる。そして、神社をきれいにし、村の悩み事を聴く。  津島神社は地元の人からは、おてんのう(天王)さんと呼ばれている。津島神社の名前は明治からで、その前は牛頭天皇宮。ササを備えて牛に食べさせると治癒すると信じられ、他の村からも参拝があるそうだ。  春日村史には、次のように述べている。  「牛の安全を祈って、ススキやカヤなどを結び神先とともに備え、それを頂いてマヤの所へさしておくわけである。新しく牛を購入した場合などにもそれを連れてまいるが、その綱だけでもいいとされている。」  「春日村史」によれば、この辺りは縄文時代から開けた場所であり、多くの伝説が残されているとし、次のように記す。 「大字美束字長者平津島神社古は牛頭天皇と申奉り、往昔美濃の国主が長国寺ナル大伽藍ヲ建立セシ時、仏堂守護の鎮守社として祀りシモノナリト口碑に伝来リタルモ、旧記ナケレバ時代及ビ国主の氏名も知ルに由ナシ、宮ノ宝物タル石ノカラジシ、石ノ盆ハ古キ珍品也・・・云々」  近世になってからはら、牛の神様なのだが、村史によれば長国寺の鎮守社であった。「長国寺は大伽藍を持っていた。その鎮守社なのである。」との記述を持つ春日村史の記述は所杉弥「西濃春日村古今明細記全」によっている。  現在、我々が見るのは、長国寺は五輪塔を残すのみということ、津島神社が確かに長国寺に隣接していることである。  長国寺の仏像は廃寺になった後、中山観音寺にうつされたことになっている。  長国寺については、「古代春日村の修験と鉄」(⑥伊吹山の山岳信仰(吉田幸平)森の国通信1996

大平八滝 産鉄の地名

このページの閲覧数が多いので、補足しておきたいと思う。 「古代春日村の修験と鉄」という文章を紹介している。森の国通信というものに書かれている。詳細は↓ しかし、春日に鉄の地名があるという証拠となっている本、 地名を掘る―鉱山・鉱物からの考察 | 小田 治  を取り寄せてみたが、全てではないにしろ、そのような記述が見つからないことが多い。著者の思い入れがあらわれた論文なのだろうと流れてはいたが、閲覧者が多いので、注意点を記しておきたい。 20年前、春日村にある森の文化博物館が発行している森の国通信というのがあり、そこに「古代春日村の修験と鉄」と題して当時の大垣女子短期大学客員教授で文学博士で哲学博士の吉田幸平氏が執筆していた。 1997年11月27日号は『地名を掘る』から、春日村の地名を調べたもので、美束周辺の地名は製鉄関連の地名であるとある。 なお、この吉田教授についてネットで検索してみた。大正8年生まれとのこと。シベリア捕虜の思想戦という本を出版されている。 地図は「古代春日村の修験と鉄」(『森の国通信』1997・11・27)より 鍋倉山 たたらを精製した山 赤崩谷 鉄土の赤い土の赤鉄鉱が出た谷 糠塚 砂鉄を採集、糠は砂鉄の意、また金・銀もいう 糠塚とはごき塚のことか 安土への道。 大吹 大型のたたらで鉄をふいた製鉄師のいたところ 銅谷 銅を採掘 龍若 龍、蛇は鉄霊。龍は中国の南、汎太平洋よりの伝説 金倉谷 鉄を刳った谷。刳は、鉄網かなにかで漉したところ。 上砂子畑・砂小畑(しゃこばた) 砂は砂金、砂鉄など砂状の鉱物の意。子は粉である。 穴栗田 栗を刳と解すると穴場は鉱区の鉄穴を刳いだような谷の鉱区 蝮谷 蝮は古語でたじひと読む。たじは丹(たん)と読み、すなわち丹生で、水銀を産出した所。金小田 鉄の採掘の鉱区。田は鉱山、鉱区をいう。小は小波(さざなみ)のように「ササ」と読む。「ササ」は黄金の鉄をいう。 金山平 鉱山が繁栄していたところ 別所 鉱山労働者の集落で寺院に従属しない修験者や聖が含まれた。 安土 海神族が定住していたところ、安曇族(秦氏族) 種本 吹谷 朱砂を意味する 鈴谷 錫の採掘、亜鉛とともに出てくる 般若谷 

大平八滝  こんば炭の話

こんば炭のことを知っているか。炭竃でつくる炭と違って、地面に穴をほって炭を焼く。どこでもできるという意味でこんば炭と言う。 朝山に行って、夜帰ってくる。1日でできる炭を言う。 こんばができるのは、青山になった時、木の芽が吹いて、草が黒くなるころなら、煙もでない。春先が一番危険。3月は火が出やすい。青山になると気楽なものだ。なぜって、どこでも焼くのだから、火には用心をする。だから、こんば夏から秋にやる。今年も青山になった。 こんばの炭は硬さが違う。鉄をとかしたりするのによい。ふいごで起こすと黄色の火になる。黄色の火は鍛冶に適している。赤い火では鉄がだめになってしまう。 こんば炭で刀鍛冶をしたら最高だと思う。 大名の鉄砲をくりぬくのに適している。この集落は大垣藩の御用炭焼きだった。御用炭は美束だけ。どうしてかって、こんばは花崗岩の土でしかできない。美束の山でしかできないから。 滋賀県に鍛冶屋の集落があるが、あそことも通じていた道がある。言葉も滋賀県に近い。 花崗岩の甘茶は甘くはないが。 ぜんまいをとる。 いまも、山にはすり鉢のような穴が残っている。明治以前のものでもよくわかる。 すり鉢のように穴を1・5メートルに掘って直径が10センチ、長さ50センチの木をくべる。 山の斜面にすり鉢の穴を掘る 朝行ったら、木をまず伐るのでお昼には火をつけることができる。 火は3メートルも燃えあがり、2メートまでになると真っ赤になった木に泥をかけてかきまぜる。すると、炭になる。3時間ばかり燃やしている。 夕方になると冷えたところを掘る。 それでも、背中に負ぶって家を帰る時、火がつくときがあった。 火の匂いがすると言って、川の水をかけて消した。火の匂いってすごい言葉だと思わないか。 熊の寝床。熊は賢い。抜け道がつくってある。 チシャの木は番傘に使う。年輪がわからない木だ。 炭にするとチンとするトンネルコ カズラフジの実は11月になり、キュウイの味がする。 大岩に二つの蜂の巣の後があった。岩の天井につくる。動物は賢い。 さっきも鳥が騒いでいた。巣があるんだ。 そういえば、ノイを見なくなった。チーとメスがなくのはノイと言った。最近聞かないが、あまりに寂しい声だった。子供のころ真似をすると、大人から叱られた。