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9月, 2021の投稿を表示しています
 中山の禰宜さん 年間行事 話者 宮内さん 1月1日 1月1日の2時ごろ、皆さんがお参りするので、焚火を炊いて。暗いうちから参った。お神酒とかいろんなお供えをみなさんがして、禰宜さんがその家の御祈祷をした。 お供えものとしては、お鏡。丸いのを二個のせて、その上にミカン。本当は橙。 鳥居には、橙、炭とか末広がり、センスとかぶらけて1月1日の朝。みかんでなくて橙。橙は村になく買ってきた。あるいは、川合小学校の下に橙をつくっていた人がいた。 きりぞめ この辺はみんな、炭焼きだった。みかんと、おけそく、鏡餅を紙に包んで、ぶらさけて、2日にきりぞめ、1年切らしてもらう、だから、きりぞめ。きりぞめは、個人個人がやる。きりぞめはそれぞれやった。2日の日。 おのらい 3日もお参りして、3日は、鏡もちをのらう。おのらい。おのらいという。 どしこし 6日、どしこしといって、それも、お宮へお参りして。 七草雑炊 7日は七草雑炊といって、神様にお供えする。 山の神 10日には山の神といって、しめなわをつくる。昔は、四井と松井、大郷、宮内と三本。いまは、1本。同じところに3本。山の講がすむまでは山に入れなかった。 じゅんごんちしょうがつ 15日正月。どんどん焼き、村からもってきて、火を焚いてもやした。家にもしめ縄があるので、それも焼く。いまでも15日。いまは、8時から。昔は夜が明けたころから。 月参りとして16日も。今度は24日も月参り。1日、16、24日が月参り。水はかぶって、いま、死んでまう。昔は、わしは3杯。水をかけたら、かけたそばから凍ってまう。裸になって井戸まで。いまは、お風呂にはいって、シャワーかけてお参り。楽なもんじゃ。水は、あったかい日に日中かぶると息がとまる。冬の方が大丈夫。 2月は節分。昔は村中をお清めの豆をまく。悪を出すように。入り豆に、藁をきざんで。家の中に入って一軒、一軒。祝詞をあげて。家中。炭の切れもいれて、混ぜた。豆は重い。自分のところで炒って。鬼は外、ふくのうち。 おおにのめ、おおにのめ。鬼の目、鬼の目といって鬼の目にぶつける。おおにのめ、おおにのめ、と。いまは、お寺と神社でまく。 昔は24日ごろに、まゆだんごといって、繭のようにだんごをこしらえて、お宮さんにお供えした。お蚕さんの。わしらもやりました。たくさんつくる。米のここを練って、ゆでて、食べられるように
 中山の禰宜さん 禰宜も何回もやった。四つ足を食べてはいかんということは、終戦からこっちだけどね。肉なんてものは、終戦から昔はあらせなんだ。あんなもんは昔からあらせん。肉みたいなものは。 中山の禰宜さんは、寒に入ると、寒のあきまで、1カ月間水垢離。水をかぶっていた。ところどころ井戸があったので、その前で。 水垢離するまえは、冷たいというものはない。わからん。通り越している。寒いの入りとは1月の初めのころ。 かぶる杯数が決まっている。神様は奇数、仏さんは偶数ということになっていた。2468は仏さん。3579は神さん。3杯かぶるか、7杯かぶるか。 井戸の中に雪が入ると、水の上面に雪がある。それをひきわけといて。冷たいの冷たくないぞという話ではないぞ。 よう、あんなことやったと、ひどいもんじゃなと思っておるんだがな。人間って。 あんなことは中山だけじゃなかっただろうか。 中山はきつい部落のしきたりがあって、祢宜さんをやってると、火をたいた灰をかぶるようなことはあかんということで、炭焼きはあかん。 お医者さんがなかったもんで、悪くなると、何かの神さんの祟りじゃあらせんか。いっぺん、神さんに聞いてくれということをいうと、祢宜さんが参らなければならない。昔の祢宜さんは容易ではなかった。おみくじをひいて、この人は、いろいろ言わなければならない。昔の祢宜さんは容易ではなかった。氏子が祢宜さんを頼んで、神様に聞いてくれと、御無礼になったことがあらせんかと。  しきたりがあったもんで、中学生で祢宜をやらせた人もいる。親父が祢宜さんをやっとると手間がひけるもんで、中学生ぐらいの子を祢宜さんに出して、自分が炭焼きに一生懸命になっている人もいた。 節分のときは、祢宜さんが豆と豆をいるときに使った炭、あれと藁を短くきって、祢宜さんが豆と豆をいるときに使った炭、あれと藁を短くきって、それを混ぜたものを、玄関入ってきて、台所から入って、座敷に向かって神さん拝んで、それから禰宜さんが祝詞をあげて、おにわそと、ふくわうち言って一部屋、一部屋、座敷も台所も部屋も炊事場も庭も。撒いて、帰ってたもんだ。朝から。40軒も50軒も参ってるで昔は。昼まで、えらかった。終戦で裃なかったんだね。  雪がふると大変だった。朝早いで、禰宜さんやってるんで。  家の人は寝てる人は寝てる。どこから歩くかわからん。3時ごろから
昨日の昼休み、布についての聞き書きをまとめたものをキンコーズで印刷してきた。丁寧に対応していただき、ありがたかったが、コピー機の進化に目を見張る限りである。 聞き書きが中心ではあるものの、根底にある大家の研究を忘れてはならないのではあるが、折口は非常に難しく、参考書が必要なレベル。なかでも、松浦「折口信夫論」が参考になった。
フチと水神  聞き書きのあとの感想文  人はどのように織ることや布とかかわってきたのだろうか。「織る」も「績む」も無関係になった自分には、佐名さんのノートや、古老の聞き書きから、その意味を考えるしかない。佐名さんのノートを読んで織るには音があることを知った。麻を織る音は独特で、「植物の繊維と木にしか生み出せない音」だと分析している。また、織る音が、機織の記憶も呼び寄せると佐名さんが書いている。 績み、織る。麻の種を撒く、皮をはぐ、蒸すお釜を峠を越えて買いに行く。90年前の出来事は記憶の中にとどまる。 麻は縄文には既に栽培されていたと言う。古代、さらには遥かに昔の人が無関係にいられなかった織るは、日常を超えて信仰や儀礼とも深くかかわってきた。 古代を考えさせる折口信夫の「死者の書」は、藤原南家の郎女が奈良県当麻寺に伝わる「当麻曼荼羅」を一夜にして織り上げた「中将姫伝説」からモチーフを得た物語である。仕上げたのは曼荼羅だが、初めは非業の死を遂げた皇子に着せる布を織っていた。なぜ、郎女が布を織るのかは、郎女の出自を理解しなければならない。折口信夫氏の論文「水の女」によれば、藤原氏は水の女の系譜である。即位の儀礼で沐浴にかかわった聖職があり、代替わりの物忌みがあける際に新たな衣を着せるのが「水の女」であり、その役割を藤原氏が担っていたと言う。 主人公である南家郎女が蓮の糸で死者に着せる布を織るのは、「水の女」を物語で語らせたに過ぎない。 「水の女」では、「ふぢはふちと一つで淵(フチ)と固定して残った古語である」との指摘が興味深い。 「フチ」が水神に関わるとは折口の論文に過ぎないのではない。春日の聞き取りで「フチ」や水の神につながる類似の話を聞くことができた。 川合の川村氏の聞き取りで「フチ」と名のつく、神様の名前を聞いた。川合には、たつかぶちさまという雨乞いの神様がいる。たつかぶちさまは、尾根のみ伝って、夜叉が池からやってきた、蛇体であり、雨乞いでは雨に濡らしてはならず、七反の布に巻いたうえで、傘をさす。 フチとは、水の神をあらわす古語であるとする説を踏まえて、人は織ることで、どう水の神にはたらきかけたのか。神様を待つ間に水のほとりで布を織っているとの「たなばたつめ」の存在も、水の女で指摘されている。 水を治めることが必要な時代、蛇も布も水も神も一つだった。
 本日の東京。緊急事態宣言下。満員電車をやり過ごす間、このような投稿をしている。 ピークを過ぎたとはいえ、1400万人の人口で毎日3000人前後が陽性と確認されていく。満員電車は1両300人、1両に1人は陽性者がいると考えた方がよいだろう。在宅勤務を交えなければ毎日2回。週5日。ウイルスは3時間は空中を漂うらしい。ワクチンでもうたなければ10人に9人はかかる計算なので、やはり、公共交通機関は避けたいところではあるが、致し方ない。 さて、気を取り直して、薬草の勉強でもしよい。薬草の飲み方をぐぐっていたところ、カキドオシについては、ギルという飲み方があるようだ。蜂蜜を入れて、甘くして飲む。カキドオシは、シソ科なので、蜂蜜はあうだろう。 小生の美束の家は一面にカキドオシが生えているのだが、今年は、ゲンノショウコの割合が少し増えている。家から河原におり、花崗岩の白砂にもカキドオシが生えてる。白い砂に翠の色が生えてさわやかである。村の倉庫でみた押切。古い道具というわけではなく、現在でも購入可能である。ちょっとさわやかな気持ちになる飲み物である。