中山の禰宜さん
禰宜も何回もやった。四つ足を食べてはいかんということは、終戦からこっちだけどね。肉なんてものは、終戦から昔はあらせなんだ。あんなもんは昔からあらせん。肉みたいなものは。
中山の禰宜さんは、寒に入ると、寒のあきまで、1カ月間水垢離。水をかぶっていた。ところどころ井戸があったので、その前で。
水垢離するまえは、冷たいというものはない。わからん。通り越している。寒いの入りとは1月の初めのころ。
かぶる杯数が決まっている。神様は奇数、仏さんは偶数ということになっていた。2468は仏さん。3579は神さん。3杯かぶるか、7杯かぶるか。
井戸の中に雪が入ると、水の上面に雪がある。それをひきわけといて。冷たいの冷たくないぞという話ではないぞ。
よう、あんなことやったと、ひどいもんじゃなと思っておるんだがな。人間って。
あんなことは中山だけじゃなかっただろうか。
中山はきつい部落のしきたりがあって、祢宜さんをやってると、火をたいた灰をかぶるようなことはあかんということで、炭焼きはあかん。
お医者さんがなかったもんで、悪くなると、何かの神さんの祟りじゃあらせんか。いっぺん、神さんに聞いてくれということをいうと、祢宜さんが参らなければならない。昔の祢宜さんは容易ではなかった。おみくじをひいて、この人は、いろいろ言わなければならない。昔の祢宜さんは容易ではなかった。氏子が祢宜さんを頼んで、神様に聞いてくれと、御無礼になったことがあらせんかと。
しきたりがあったもんで、中学生で祢宜をやらせた人もいる。親父が祢宜さんをやっとると手間がひけるもんで、中学生ぐらいの子を祢宜さんに出して、自分が炭焼きに一生懸命になっている人もいた。
節分のときは、祢宜さんが豆と豆をいるときに使った炭、あれと藁を短くきって、祢宜さんが豆と豆をいるときに使った炭、あれと藁を短くきって、それを混ぜたものを、玄関入ってきて、台所から入って、座敷に向かって神さん拝んで、それから禰宜さんが祝詞をあげて、おにわそと、ふくわうち言って一部屋、一部屋、座敷も台所も部屋も炊事場も庭も。撒いて、帰ってたもんだ。朝から。40軒も50軒も参ってるで昔は。昼まで、えらかった。終戦で裃なかったんだね。
雪がふると大変だった。朝早いで、禰宜さんやってるんで。
家の人は寝てる人は寝てる。どこから歩くかわからん。3時ごろからやってくれる。