11月5、6日 美束寺本の太鼓踊りを見に行った。
踊りの上手な女子がいると言う。
猛反対をしたおじいさんを押し切って踊りを始めたそうだ。
山の際に三日月が沈んでいくなかに、お宮さんだけが、ぼんやり明るい。
近づくと川の音の中に、太鼓の音と鉦の音が混じってくる。
太鼓踊りなのであるが、祭りでは、鉦の音が山の中で響いている。
お祭りとは、過去、失われた過去を体現することと聞いたことがある。
過去の人も、この踊りを、三日月の下で踊っていたのだろうが、魂を鎮めたりすることがもっと重要な時代に、太鼓や鉦はどのような音がしたのだろうか。
いや、いまだって、魂を鎮めるのはとっても大事だが。
「うちは、男兄弟ばっかで、兄さんたちは踊るのに、わしは踊れん。あの時ばかりは、金の玉がほしいと思ったよ。」。あんたも踊るのが好きだろうと話しかけられた。確かに、ここの太鼓はいい。歌詞はだいぶ難しい。
「衣装を競って大変じゃった」と山口さんが教えてくれた。
衣装が華やかである。
真ん中の男の子は以前は籤で選ばれたという。名前を書いた紙をまるめておく。ねぎさんが、お祈りすると、その年の男の子の名前を書いた紙があがっていく。神様が選んでくれたそうである。
五色に彩られた竹でできた依り代には神様がやどる。
この写真は二日目の熊野神社のものだが、神社に入る前に、御幣をさす。
御幣は五色の旗とともに神社から運んでくる。
2日目に踊る 「佐院の河原」が非常に難しいという。祭りのクライマックスなのだろうか。
『春日村史』からその歌詞を拾ってみる。
左院の河原 鐘居
皆人々よ 聞き給え
左院の河原の由来なり
左院の河原と申す処は
娑婆と冥土の境なり
一ツや 二ツや 三ツ四 七、八ツ、十に詰まぬ おさな子が
閻魔のまよいと 早よついた
村史によれば、寺本の中将姫節については、純粋に念仏系の唄だそうで、岐阜県下では岐阜市と美束の寺本にしかない歌詞だそうである。