春日村史 より |
話者 美束 山口保氏
品又 大平は、美束集落の奥にあたり、品又は峠を越えて坂内へ、大平に向かう峠のいくつかは、滋賀県に通じている。
現在は、通う人が少ないが、かつては、炭焼やその前は焼き畑の通った道であり、焼畑としては、むつしという地名を持つ。
大平周辺は明治になって美束寺本となった。滋賀県側と、裁判で勝ち取った経緯がある。勝てた理由は境の考えで、県境は水の流れに沿って分けるが、大平周辺は境から水が下に流れていくので滋賀県のものではないと主張して、美束のものとなった。
それに尽力してくれたのが日坂の高橋氏で、六社神社に高位神社として祀っている。六社神社に烏帽子をつけた神様として祀ってあるが、実際の人物である。寺本の80戸で1戸あたり、2町4反の面積となった。山としての財産なので、現在の価値は嘆くものである。
品又は、鷹巣谷 貝月山に。鷹巣谷の50メートル上まで林道がある。左の谷によへん谷。よへん谷から竹屋谷の上に出てくる。途中に有名なもちの木がある。一本だけ。それを目当てに大平へ行く。よへん谷は林道の終点から。その上にかべ矢谷。かべや谷辺りに東平 西平 さぶや平。影なので寒いから登り谷。
かべや谷に炭焼きに行っていた山口 保さんのお話。
かべや谷に炭焼きに行ってた時、ウサギの踊りを見たことがある。小屋にいて、飯食ってたとき、何かが来たと思ったら、後ろ足でピョンピョン、ピョンピョン、前足上げて踊りだした一匹、雨の中。
かべや谷では、熊もしょっちゅう。子連れにぶつかったこともある。荷物を置いて3メートルから4メートルの下の顔で顔を洗っていたら、俺の荷物で熊がヒョン。こりゃ、どうしようと思ったら、親がけっこう登っていた。うり洞で。子が親のあとをついていって、ぐらいいってから、親が初めて、ウオーッとよばった。そこに行くまでは呼ばらなんだ。あくる日、炭を焼いているところから見たら、横をトコトコ、トコトコ、歩いていた。
また、炭を焼いているとき、川の中に木を落としているものがいる。誰じゃい、魚釣りかいと見に行ったら、熊じゃ。
かべや谷では、熊もしょっちゅう。子連れにぶつかったこともある。荷物を置いて3メートルから4メートルの下の顔で顔を洗っていたら、俺の荷物で熊がヒョン。こりゃ、どうしようと思ったら、親がけっこう登っていた。うり洞で。子が親のあとをついていって、ぐらいいってから、親が初めて、ウオーッとよばった。そこに行くまでは呼ばらなんだ。あくる日、炭を焼いているところから見たら、横をトコトコ、トコトコ、歩いていた。
また、炭を焼いているとき、川の中に木を落としているものがいる。誰じゃい、魚釣りかいと見に行ったら、熊じゃ。
ウサギはね、キツネに追われたって、下へは降りてこん。後ろ足が長いで捕まってしまう。ウサギは山の上に登っていくの。
樋渡瀬は粕川支流の品又林道にある。樹齢100名程の木の間を花崗岩の岩盤長さ20メートル、まるで斜めの滝の様な水しぶきをあげているところ。水音で小鳥の声も聴きづらく感じる。
林道開設以前はこの必ずこのこの渡瀬を越えなければ上流の山仕事は行えない場所だった。それでも、滝よりも上流は山林面積も多い。よへん谷、鷹巣谷、かべや谷、西平、東平、峠谷と地名があり、峠を越える所火越谷は火越峠であり、坂内地区に通じる山道だ。
昭和30年代に品又林道開設して以来、この山道を通る事はない。それ以前は夏でも冬でも渡瀬を渡るたび、水に濡れて往来したものだ。時々、足を滑らせ危険を伴う所だ。
火越峠
林道開設以前はこの必ずこのこの渡瀬を越えなければ上流の山仕事は行えない場所だった。それでも、滝よりも上流は山林面積も多い。よへん谷、鷹巣谷、かべや谷、西平、東平、峠谷と地名があり、峠を越える所火越谷は火越峠であり、坂内地区に通じる山道だ。
昭和30年代に品又林道開設して以来、この山道を通る事はない。それ以前は夏でも冬でも渡瀬を渡るたび、水に濡れて往来したものだ。時々、足を滑らせ危険を伴う所だ。
火越峠
火越峠っていうのがある。灰坂ってのがある。火口谷ってのがある。火が出て、どんどん焼けていって、そこを火が越えたで火越峠。
この辺に、檜があったが、それを伐り倒して、沢に倒しておいておいた。焼けても残るだろうと。東平っていっても、一町、2町もある平があるんだよ。
勇次郎新田は、勇次郎という人が開いた水田である。その位置は、村から離れ、品又林道から奥に向かっていく。水田は5枚ほどあるが、植林してある。村には、丈畑、むつし、みやまという区分があり、むつしは、焼き畑に適した標高。それより高いとみやま、深山
100メートル淀廻 水源池のあるところ。
向乗畑 むかいじょうばた。
鈴谷(すずたに)右に入った谷。
ばんじゃぐら谷 その谷に杓子小屋。
それから品又勇次郎新田は、勇次郎という人が開いた水田である。その位置は、村から離れ、品又林道から奥に向かっていく。水田は5枚ほどあるが、植林してある。村には、丈畑、むつし、みやまという区分があり、むつしは、焼き畑に適した標高。それより高いとみやま、深山になる。むつしに近い山の中に、水田をつくった勇次郎さんの努力やいかに。
鈴谷(すずたに)右に入った谷。
ばんじゃぐら谷 その谷に杓子小屋。
それから品又勇次郎新田は、勇次郎という人が開いた水田である。その位置は、村から離れ、品又林道から奥に向かっていく。水田は5枚ほどあるが、植林してある。村には、丈畑、むつし、みやまという区分があり、むつしは、焼き畑に適した標高。それより高いとみやま、深山になる。むつしに近い山の中に、水田をつくった勇次郎さんの努力やいかに。
当時は合掌造りの立派な小屋があり、牛も飼っていた。
村には、丈畑、むつし、みやまという区分があり、むつしは、焼き畑に適した標高。それより高いとみやま、深山になる。