大平八滝は北伊吹鉱山のあった場所である。北伊吹鉱山との出逢いは「日本の鉱物」という図鑑に始まるという人が多い。そこには、全国の有名な石が載っている必携の一冊というとこだが、本の「ガドリン石」という立派な標本の産地がまさに大平八滝のある春日村北伊吹鉱山。
標本は次のように書いてある。
「日本ではまれな大きな結晶の集合体」(横125mm、神谷標本)
春日村と言えば、さざれ石が村の石であるが、このガドリン石も春日を代表する石ということになる。
この鉱物図鑑には次のような説明がある。
「新鮮なものは緑色だが、ウランやトリウムを含んでいるものは、放射能で黒くなり結晶構造が破壊されている。」
写真を見てのように黒いので、ウランやトリウムといった放射性物質を含んでいたことになる。この図鑑、山を滋賀県伊吹町では射能山と読んでおり実際に探していたこと、鉱山があったのが昭和30年代ということ、この鉱山跡からは立派なケーブルとかが伸びていることから、北伊吹鉱山では放射性のある岩石を探したのだろうという憶測を呼んだ。
北伊吹鉱山で検索すると、ここで働いていた人の証言が出ており、白い石は放射能があるので触るなと言われたとある。
いまでも、ここで産出された長石や煙水晶として売り買いされていたりする。ガドリン石の売買はないようである。
そんな妄想を抱いて訪れた春日村。北伊吹鉱山で働いていた人に、いつもお世話になっている山口夫妻が電話をしてくれた。
62年前、北伊吹鉱山で働いていた人で、4、5メートルの穴を掘り、鉱脈を探したり、飯場に食料を届けたりしていた。鉱山には作業員のほか、東北大学と鉱山師が調査に来ていたと言う。
放射性物質、射能山、ガドリン石といった名称から、おかしな妄想を抱いていたが、
ウランなどと聞くと驚くのは素人で、花崗岩の中には「モジャモジャ」とあるらしい。
射能山と呼ばれたこともについても、「滋賀県ではそんなことも言われていたかもしれないが、こっちからは、出なかったな。62年前の時。18歳の時だ。長石っていう茶碗にかける白いところ、釉薬を採るんだ。この水晶に巻いてるだろう。これが長石。鉱脈が横に広がっている。1メートルぐらい広々あった。滝のところとか、あの上に、もっと大きな岩もあるところもある。いまは、笹ばかりのところもあるが、1メートル四方、穴は4、5メートルの深さに掘って探しに行った。脈があるかを調査したんだ。いまも、ワイヤーが出てるだろう。大学の博士が調査して、鉱山師とも来とった。村から30キロの米を持って行った。セタで負んでいた。酒飲んで夜、村を出ると、タヌキが火燃やして、夜はいびしゃい。それからは、夜はいかないことにしたが。」
この黒い水晶は宝物。白く巻いているのが長石だと見せてもらった。石のことを六方石と言った。
北伊吹鉱山で働いているときに見つけた。
大平にある戸棚岩 鉱山師も見たことだろう。 |
自分は全く鉱物は門外漢なので、家に帰って調べてみた。以下は調べたことである。
写真の石は黒っぽい色をしているが、スモーキークオーツ 煙水晶という。煙水晶は花崗岩ペグマタイトのなかに産出されるという(堀秀光「楽しい鉱物学」草思社)。
花崗岩は学校で習ったと思うが、深成岩で、マグマが深いところでゆっくり固まったもの。そのゆっくり固まるなかでペグマタイトという空間ができ、そのなかで、放射性物質が反応したりして、希少鉱物が出来上がる。北伊吹鉱山が希少鉱物の産地であったことは間違いないのだろう。
もっとも、証言のように、放射性物質のみとれたというのは間違いかもしれない。収穫できたかもしれないが、それが、核や原発につながるというのも、ちょっと安直な気がする。
にわか勉強なのだが、この貝月花崗岩帯は、付加体をつらぬいているらしい。付加体とは日本列島が現在の中国大陸の一番端にあった時、大陸プレートが沈み込むとき、海洋プレートの上の堆積物がはぎ取られ陸側につもったもの。つまり、海のものなで出来ており、それを花崗岩が貫いていることになる。現在は一番、奥にある山が昔は海であった。海を思い出させるように貝月と名付けた昔の人の知性に、感服するのである。
飯場は、伊勢湾台風で流された。いまでも太いワイヤーが鉱山跡から集落に向って伸びている。
調べたこと
・貝月山花崗岩 白亜紀中頃にできた。
・北伊吹鉱山 貝月山南西方の本地域と「長浜」地域の境界部において,窯業原料を得ることを目的として,斑状花崗岩中のペグマタイトを対象に,石英,長石の採掘が行われていた(大塚寅雄・佐々木政次・高田康秀・朽名重治(1958)岐阜県揖斐郡春日村北伊吹鉱山. 珪石. 長石. 調査
報告. 地下資源調査報告書, によれば、昭和29-31年(1954-56)に探鉱が行われ、盛んに採掘されていたとある。鉱区は当時主に岐阜県側の春日村に属し,一部伊吹町に属していた