地名 恋折峠
美束から中山への道は恋折峠(こより峠)を超える。地蔵様はみちわけ地蔵というのは、中山の四井国正さんだ。
「地蔵は道分地蔵じゃないかと思う。お道を、右へ本道、左を山道。左へ行くと山の中に入ってしまうという。そんな案内。恋折峠にある地蔵は美束へいく道と山に入っていく道を分けている」と中山の四井さん。「その地蔵を頼って旅した人がおるわけで」
「俺ら子供のころは花があるとちぎって、地蔵さんに備えた。なんでもかんでも、供えておけと」。
恋折峠は、四井さんの郵便屋さんお父さんも通った。香六、小宮神配って、こうもり山を通って寺本。尾西めぐって、それから、恋折越えて中山に戻って。それから古屋行って郵便局へ。これで1日。時間があるときは六合も配った。
道分地蔵は、集落の最後にも、廣澤にもある。 道分地蔵がなければ、迷ってしまう。「小学生のころだか、禿山から漁師が骨を拾ってきたのを見た。行方不明になった人で、着物かなんか知らんが、破れた着物を広げて見せた人があった。山に迷ったんじゃないやろか。禿山で。中山の墓地、杉の木の下に埋めた。
恋折峠には百日紅があり、お地蔵さんがある。降りないと、山に入っていってしまう。山はなすび平に続く。
中山へは裸ろうそくで行くんだ。裸ろうそくって、ふところに入れてと聞いたのは美束。恋折って、恋が折れたからだよ。そんな話なんで、誰から聞いたのか名前は伏せておこう。
「てつゆきやま、もんきちやま、じゅうきちやま、いさおやま、げんしろうやま、こより峠」 美束側の名前だ。お寺の山もある。
中山と美束と、どっちが峠かと争って、30人も40人も行って争った。水の流れで境を決めた。50、60年も前の話。お寺の山が境だ。
地蔵が倒れたのでおこした。水で洗わな。もっと、下にあったと思う。山の境がわからなくなったって、それは俺らが死んだあとのことだ。山に帰っていくだけ。