1年前から負けることはわかっていた 終戦になったときは、鎮江(ちんこう)という小さい町。一個中隊だけそこにいた。 綿がようけとれるで日本から会社が来ていた。12時に天皇陛下の重大な発表があるで聞け、とラジオを持ってきてくれた。外に据えて聞いていた。終戦。 シナでは1年も前ぐらいから、シナ人も日本は負けたと騒いだ。わしらも日本は負けるということは早うからわかっておった。 甲種合格は皆、南方へ行ってまうで、第二乙みたいなのが人数あわせで来てた。シナは戦闘はひどいことあらへん。南方のようなことはなくて、やってけるで。それがもってくるものを見ると、いまに負ける。 藤の皮を供出したというが、ああいうもので織ったガタガタの服。鉄砲は青年学校の稽古に使うようなもの。水筒は竹筒。 ゴンボケンも中身は普通のカネだが、鞘は竹。カネがあらへん。鉄砲も弾の出てくるようなのじゃあない。それも二人に一丁。 ものがないことは聞いておったが。シナでおってみると、想像はついた。 海軍の船が沈んで、漁船に米を送ると南方に送る前に沈む。南方はかてえて死んだ。日本にも米もなんにもない。その時分の幹部はどんな頭をしてたんじゃ。大東亜戦争を始めたのもそもそも間違いだ。天皇陛下も朕わじゃ。朕が戦争やらんといったら、できのんやて。