横蔵寺
前回触れた横蔵寺に白洲正子氏が訪れているのはご存じでしょうか。「十一面観音巡礼」(講談社文芸文庫)のなかに出てきます。奈良の聖林寺で初めて十一面観音寺に出会った氏が始めた巡礼。訪れた寺の一つが横蔵寺なのです。
横蔵寺は、「白山ひめの幻像」という章のなかに出てくるように、白山信仰のなかで語られます。
「仏はつねに在せども
うつつならぬぞ哀れなる
人の音せぬあかつきに
ほのかに夢に見えた給ふ」
梁塵秘抄の今様の景色を神戸の日吉大社の十一面観音に見ることから始まった旅は養老、美江寺を経て横蔵寺で終わります。
横蔵寺は胎蔵界峰と金剛界峰の峰の間に寺院が築かれ、中心に「白山」と書いてあります。「いこいの森」という原っぱから、胎蔵、金剛の峰が見え、二つの峰の間には、今も旧堂の礎石が残っているらしい。
横蔵寺はミイラや仏像が有名なお寺ですが、横蔵寺では白山信仰に終始します。白洲氏は揖斐川流域の寺に対して、白山信仰を通した神仏混合があらわれたか形を見ているからでしょう。「日本の信仰は、山と川によって発展したといっても過言ではない」という白洲氏の審美眼に叶った、神像や仏像や信仰の形が揖斐川流域にあり、それは山や川を敬うなかで現れた形なのです。
この章のなかには、揖斐川をろく川と紹介しているところがあります。ろくという言葉が、霊を意味するらしく、「揖斐川とはよほど恐ろしい川だったのであろう」と指摘しています。霊ともいうべき川への畏怖が日本の信仰をつくった。血があらわれている像こそ、本当の仏像や神像がある。そういった視点なのでしょうか。
紀行文であり、学術論文でもなんでもない文です。証拠のないところから発想しているはずなのに、書いていることが妄想に思えない。これが、本来の知性の有り方です。