中山 道分地蔵
80代 男性
恋折の地蔵は道分地蔵じゃないかと思う。お道を、右へ美束、左を山という。
恋折峠は昔の大通りだ。
村の中には、廣澤にも地蔵がある。古屋へ行くのと、はげ山へ行くのと別れるところにもあった。
道分地蔵とは、その地蔵を頼って旅した人がおるわけで。俺ら子供のころは花があると地蔵さんにちぎって、そなえたね。子供のころから、そういう教えを守っておる。なんでもかんでも、備えておけと。
廣澤の地蔵さんは、林道の上。禿山へ行くのと、三ノ瀬を降りて古屋へ行くのとあった。古屋へ行くのに、河原へ降りると橋はあるが、岩盤があるもんで、橋ばっか渡る。橋なんてのも丸太、切ってきてね。2本、3本と並べたようなもの。ちょっと大水が出ると橋が流れる。橋をくくって、そこに大体、大きな石にばんせんでくくりつけておいて、水が流れるとそう流れるままに。そして、また、ひっぱり。橋を渡らなくてもいいように、中山の部落を通って、いまの天理教さんの前をとって、製材へ。そこが三ノ瀬。迷わないように。禿山へ行く道と分けて。
いの谷の終点にもみちわけ地蔵。屋敷を通り、恋折峠へいく道を教えとる。その家から、尾根を伝って上がって行くの。尾根を伝って、露天掘りのところへつながる。露天掘りのところを行けば、そこが恋折峠の道になる。
地蔵さんが道を教えてる。小学生のころだが、禿山から漁師が骨を拾ってきてね。人間のさ。行方不明になった人だわね。着物かなんか知らんが、敗れた着物を広げて見せた人があった。こわかった。猟師があっちこっち歩いたもんで、そういうものを見たんじゃないか。回収してきて。山に迷ったんじゃないやろか。禿山で。中山の墓地、杉の木の下に埋めた。