中山 太鼓踊り 祭りの記憶
覚えているのは、秋葉さんから降りてくること。親たちは、飲んどった。体
親父はスーツ着て、笛を吹いていた。
自分が中学のころはやってなかった。45年ぐらい前には終わってるということだ。
太鼓とふさふさで顔は見えない。まといだけは顔が見える。よく覚えてるな。着るものはみんな一緒。
神輿はよくつくった。新聞紙はって、そのあと絵をかく。三丈俵をつくった。鯛と宝船。子供はおっても2、30人いた。家のまえで神輿をわっしょいわっしょい。もらったお金で、秋と夏の何かでつくった。
一番上が中学生、中学生で音頭とる。家の前に神輿がいって。きよまさって家、こっちはゆのたにていう地域。ゆのたにの一番上に、みこし担いでいこうと行こうと、急でね。あそこは一つでいい、えらいで。
きよまささんの家のあるのはおけらむらっていった。いのたに、おけらむら、なかむら、ここは、しもむら。ゆいやま。おけらむらがあって、なかむら、しもむら。
青竹を渡してね、骨組みがあって、新聞紙はりつけて、最後に白い紙はって、色塗って。そのあとは、寺の130段から、だああと落として、壊した。怒られたことあったね。めちゃめちゃにしてまった。