スキップしてメイン コンテンツに移動

笹又と小宮神


敦賀で炭焼き。子供が小学校入る、2、3年前に帰ってきた。昭和30年から35年ぐらい。それから、おばあさんに子供見てもらってまた、笹又で炭焼きへ。

敦賀の炭焼きは良かった。炭焼きはここらで千俵ばかり、向こうは二千俵。山の木の値段はこちらも高くて、1俵100円、向こうは10円。

長者が住んでいた土地だとかで、山が開けていた。集福寺の駅でちょっと歩いた。奥麻生村。4月から11月いっぱい。1回で180俵。ここでは1回100俵にしかならない。半月で一杯焼けた。ここでは小さい80俵なので、利益もあった。

キンマで出した、いっぺん、35俵ずつ。炭を集めるどばに運び、そこから業者が買っていく。小宮神から7、8人いた。

笹又には40軒ぐらいあった。じゃがいも、大豆、小豆、さつまいも、なんでも畑でつくった。炭、薬草、蚕は春子と夏子。

学校は古屋に。冬になると中央の学校。冬にこっちに帰ってくると、わらうち。ぞうりをつくる。

小宮神のお寺さんは5日講がない。

ネギさんは52と80に2貝。月参り、祭り、山の講、月の最後の日と。1年に23回ばかり。


おかみむかえは村中で出た。全部で1石集まった。俵で300俵、1石2斗ぐらい。100戸ぐらいようあった。29日の晩、一晩冷やかして、お昼までについて、3時、4時にとりいにく。おかむかえとは神様が帰ってくる日。


歌舞伎は4月の祭り、村の広場で。いっちゃほい、いっちゃほいって、一晩で済まない。二晩、2時まで。子供のころには既にやっていた。


麻は井戸の付近で皮を蒸して、かねですっと押すと川がとれていく。着る物は麻。おばあさんが糸まわして、ずぼんを作ってもらってはいた。


桑の木を村の人は「もりき」といっていた。お地蔵さんに向かって大きな桑の木がある。ああいう桑の木は何をつくっても、照りが出る。茶ダンスでも桑の木って言ったら高かった。


笹又から三里で垂井。伊吹町の大久保にも出れたし。

笹又に関ケ原の南宮さん祭りに歩いて行った。綿菓子欲しさにおばあさんに連れていってもらった。木之本地蔵に参ったという話もある。

笹又に、大豆、小豆、さつまいも、春日豆、じゃがいも、さといもを取ったのをおいてあった。冬になって、それが無くなると笹又についていって負わされた。片道2時間ぐらい。

焼き畑は奥馬生でやってた。そのころ焼き畑をやった。白菜、大根、焼き畑は虫が来ないので、何でもできる。

古屋の地蔵盆は8月23日。小さいころは毎年あった。からすうりを種とってもらったものを灯して。盆踊りに中にろうそくを立てる。ろうそくに火を灯してもらって盆踊り。からすうりにはりがねで棒の先にくくってもらって、ろうそく立てて。

このブログの人気の投稿

木地屋のはなし

 折口信夫『被差別の民俗学』(河出書房新社)の「木地屋のはなし」には、春日村の米神が登場する。米神とは春日村の小宮神のことである。十数年前に、小宮神の木地屋さんから系図を鑑定してくれと頼まれていた折口が、十数年後にやっと小宮神を訪れるという話だ。「都合がついたら 惟喬親王の御陵を見に来てくれ」と頼まれている。 「切り立った崖の狭間に出来ている村落で、そこに猟師村のように家がごちゃごちゃ並んでおり、その中に本家というのが三軒程あるので、惟喬親王の御陵といっているのは、実は、その本家の先祖らしいのです。とにかく、私どもの知識では、何の根拠もないということがはっきり呑みこめましたので、これは「小野宮御陵伝説地」というくらいならよいかもしれないが、それ以上のことをいうのはよくないだろうと申しておきました。尚、ここの木地屋は、この第二図、即ち、金龍寺から出している方を掛けているので、採色をした極新しいものでした。」  折口は小宮神の木地屋から、系図の鑑定を頼まれ、系図を返すついでに、小宮神を訪れたのである。親王の御陵は本家の先祖らしい、 惟喬親王 伝説の地くらいならよいかもしれないと言っておいた、とある。   木地師は木から器をつくる職業だ。山の木を伐ってつくるため、山から山を渡って歩く定住しない生活が漂白民のようにも考えられ、ノスタルジックに語られることも多い。しかし、折口が「詩的に考えると、大昔から山に居った一種の漂泊民が、まだ、生活を改めないでいたように考えられるのであるが、そこまで考えるのはどうかと思います。とにかく、昔は、幾度も氏子狩り(氏子をつきとめて戸籍に登録)ということを致しております。ちょうど、山に棲む動物を探すように、氏子をつきとめて、戸籍に登録するので、こんな点から考えると、昔の民生もそうだらしのないものではなかったことがわかります。」と述べているように、民生は幾度も氏子狩りをし、山に棲む動物をさがすように戸籍を登録。木地師も氏子であることを利用して、関所を超えた。全国の木地師は二つの神社の氏子となっており、折口の言葉を借りれば、民生が行き届いた証拠であるが、祭神の一つが、小宮神の 惟喬親王である。器をつくるのに必要な轆轤を発明されたということで神となった(もう一つの祭神は筒井八幡である)。 惟喬親王は 清和天皇の兄弟。父は

竹屋谷 大平八滝に金属を探して ②

大平八滝は北伊吹鉱山のあった場所である。北伊吹鉱山との出逢いは「日本の鉱物」という図鑑に始まるという人が多い。そこには、全国の有名な石が載っている必携の一冊というとこだが、本の「ガドリン石」という立派な標本の産地がまさに大平八滝のある春日村北伊吹鉱山。 標本は次のように書いてある。 「日本ではまれな大きな結晶の集合体」(横125mm、神谷標本) 春日村と言えば、さざれ石が村の石であるが、このガドリン石も春日を代表する石ということになる。  この鉱物図鑑には次のような説明がある。 「新鮮なものは緑色だが、ウランやトリウムを含んでいるものは、放射能で黒くなり結晶構造が破壊されている。」  写真を見てのように黒いので、ウランやトリウムといった放射性物質を含んでいたことになる。この図鑑、山を滋賀県伊吹町では射能山と読んでおり実際に探していたこと、鉱山があったのが昭和30年代ということ、この鉱山跡からは立派なケーブルとかが伸びていることから、北伊吹鉱山では放射性のある岩石を探したのだろうという憶測を呼んだ。 北伊吹鉱山で検索すると、ここで働いていた人の証言が出ており、白い石は放射能があるので触るなと言われたとある。 いまでも、ここで産出された長石や煙水晶として売り買いされていたりする。ガドリン石の売買はないようである。 そんな妄想を抱いて訪れた春日村。北伊吹鉱山で働いていた人に、いつもお世話になっている山口夫妻が電話をしてくれた。 62年前、北伊吹鉱山で働いていた人で、4、5メートルの穴を掘り、鉱脈を探したり、飯場に食料を届けたりしていた。鉱山には作業員のほか、東北大学と鉱山師が調査に来ていたと言う。 放射性物質、射能山、ガドリン石といった名称から、おかしな妄想を抱いていたが、 「ウラン、そんなもの、壁砂の中にモジャモジャとある。微量ではあるがな」。 ウランなどと聞くと驚くのは素人で、花崗岩の中には「モジャモジャ」とあるらしい。 射能山と呼ばれたこともについても、「滋賀県ではそんなことも言われていたかもしれないが、こっちからは、出なかったな。62年前の時。18歳の時だ。長石っていう茶碗にかける白いところ、釉薬を採るんだ。この水晶に巻いてるだろう。これが長石。鉱脈が横に広がっている。1メートルぐらい広々あった。滝

中山観音寺 3月第2日曜日の大般若さんの 聞き取り

 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日中山観音寺は江戸時代は大垣藩が再興、関ケ原の戦いでは小西行長を匿った歴史ある曹洞宗の寺である。   観音寺は山間の中山集落の上方、山間の急な石段を上った場所にある。社叢は深く、「お宮さんからの風でいつも寒いんじゃ」と言われたことを思い出す。  創建は養和元年(1181)で、関ケ原の合戦時には荒廃していたものの、小西行長を菩提をともらうために、さらに山を越えた集落である美束種本より、十一面千手観音像と大日如来、釈迦如来像仏像三体を譲り受けたが、十一面千手観音像にご利益があった。  村自体も源平の落人伝説、さらには壬申の乱の落人伝説をもち、村の由来は1500年さかのぼる。いまは、岐阜県に位置するが、村の先祖は、山間部の中から、中山という集落をつくったのである。   しかし、その集落も17戸になり、80歳前後の村人が寺を守ろうと、花祭り、御汁講、施餓鬼と行事が行われている。  なかでも人を集めるのが大般若だ。村の人は「だいはんにゃさん」と呼ぶが、寺の守である宮内さんによれば「なんでも願いが叶うありがたいお経を読む日」である。  村人は2月から準備をする。2月末日は小西行長をともらう小西神社のお祭りがあり、さらにの中の神社かあ寺におり、村の人はりんとうを磨き、寺を飾り付け、経典を点検する。 この日は、掃除するりんとうが並べてあった。 小西神社のお祭りが終わると、お寺に行く   りんとう磨き 女性たちは、数週間をかけて、この日のための食事の用意をする。食事は山のものである、白和え、蕗みそ。大根。全てが山のものである。人数分つめる。今年は雪がひどかったが、それでも何とか蕗のとうを拾ってきた。 「先代のおっさんは、それはそれは厳しい人じゃった」という治子さん。礼儀作法を学校さながらに厳しく寺から教わった。   「昔は、食べ物がなかった。五穀豊穣とかね。祈ったんですよ」と宮内さんから、教わる。僧侶の読経が響く。    「昔はね、出店が出ておった」と言うのは、四井(83)さんだ。  「おっさんの声が大きいてね。外まで聞こえたと。俺ら、青年団でね。礼儀忘れると、怒られたもんだ