共産軍からスカウト
(聞き取り2021・10・29)
終戦になって、軍旗が無かったで、先頭に、将校の軍刀を並べるわ。そんだけの人数がないとあかんのやで。わしら、機関銃やで、機関銃をずっと並べると、向こうから人数をやってきて、兵器をもってってまって。そしたら、わしら丸腰になるわ。するとシナ人がたわけにしてもう、石投げて。学校かなんかにおったんじゃで。兵舎というものはあらへん。石投げたりなんかしてみる。すると、武器もない。負けた人間やで、たわけにさせられてもしゃあないわ。
蒋介石軍は共産軍にやられて、やられて、どんどん逃げていったんじゃで、晩に寝てると蒋介石軍と共産軍がやりあうわ。わしらがおったところは上海の近くで、道路ってないんやで。全部水路、クリーク。そいで、やりかけたなあ、と思ってると、蒋介石軍がやられては、下がってくる。負けて、負けて。そいで、日本軍に武器を返してよこした。こんどは機関銃をもっとる。
やりかけたので、今度は頼みに来るぞよ、と思っていると、軍隊のえらい人がきて、頼むと。しゃあないで、機関銃持っていって、クリークの土手で、音のする方向けて、バババーンと。30発、弾が入っておる。押しさえすれば30発ある。弾もようけ、あったんじゃ。返してよこしたんじゃで。30発、撃つと、向こうは引いていってしまう。
それは、なぜ、というと、負けるちょっと前から、向こうは夜になると勧誘に来るんじゃ。俺は何々部隊におったもんじゃが、共産軍に来てみよ、と。日本の兵隊が、誘いに来る。共産軍じゃ。そいでな。古い兵隊は行かへんが、若い兵隊は軍隊がいやでかなわんで、ついていくんや。
上等兵でいくと指揮官じゃ。将校になれる。誘いに来たときに、何々部隊の上等兵だが、向こういったら馬に乗って歩けるじゃというじゃ。それは、いいことじゃと若い兵隊はついていくわな。向こうは日本の兵隊は指揮官でおるもんで。
機関銃でも、日本はくうれい式の機関銃。音が違うの。音が全然違う。日本の機関銃は出るのも早いしな。そいで、ばばばばーんと出ると日本の機関銃の音だということになると。向こうの指揮官が日本人なもんじゃで、日本人の花持たせる。行ってまう。あくる日になると、重慶軍が豚肉やら酒やら持って礼に来る。うまいものが食えた。
近くの町を守りをしていて、連絡に行ったら、ほもなんもおらん人間もおらへん。共産軍がほをもって行ってまった。
それがさ。わしらは8月終戦になって、明くる年の3月までも帰ってこれなかった。割合に、共産軍に行っていたやつがはよ、帰ってきておる。港へ共産党が守して連れて来たやな。わしらは、上海から十里ばかのところにおったのだが、帰ってくるにも船が無かった。漁船も何も、みんな南方へいっては沈められてまって、帰ってくる船が無かった。ほんで、小さい漁船の小さい船に。一人大勢でもつめておかなならんで、足を伸べたらひっこめられん。もたれたら、もたれたなり。
上海から九州に着いたんだが、二日はかかるな。もう、動けんのじゃ。こんこんに詰め込んでる。一人でも乗せなあかん。船が無いんだ。そんで、日本にその時分に食うものも、着るものも無かった。食うものは、無かった。南方も戦死というのも、餓えて死んだ。なんでも、かんでも食ったんじゃで。
ほんでな、帰ってくる船がない。しまいに、みずほ丸という日本で一番大きい病院船。横原に大きな赤十字のマーク。これは、国際上、軍医戦は爆撃はできん。非戦闘員が乗ってるで。それやけど、船がないもんだで、兵隊積んだり、食料つんだりして、病院戦も行った。それがわかってきたで病院船も沈められてまった。何度送ってもつかんで、餓えてまっとる。国のなかに食うものないでも送らなならん。野戦の方が大事だで。そういうとろくさいことをやっとったんじゃ。