こより峠の思い出
こより峠か。
どんだけ、おじいさんを呼びにいったか。
うちのおじいさんは美束に連れがおった。製材やってる人。とくのすけという人だった。仲良で、灰谷の上の山の木を。美束は牛をよく飼った。その牛をあそこから連れてきて、牛をこより峠をこえてきて、うちの分の杉の木を牛にひかせて、出して、製材かけて。牛は山に置いていったんじゃないの。動物もあの時分は、山におらんし。熊やら猿はおらなんだよ。若い時分。熊の猿のと見たことない。どこにでも泊まれた。牛は小屋を建て、置いていって帰っていく。
お地蔵さんは2体ある。子供の時じゃよ。男の子がおるといじめられやしないかとこわて、こわて。峠越えて。
おばあさんが呼んでこいと。おじいさんが60ぐらい。そこいくと、二所あった、指物屋のおじさんと。うちもせわしい。仕事があるもんで、よばってこいと。呼びに行って。
あの時分は畑があった。お地蔵さんの横も畑で、こんにゃくがようけとれた。おじぞうさんがあるところから一谷は畑ばっか。道も変わったかわからんね。谷に水を貯めておいて、汲んでいっては仕事をした。清水工業のところも三体のはず。
白子へ降りるのもいい道。戻りは、下の道を来たと思う。
「おじい、ほら、もうおばあ、よぼってこいよぼってこい、ておばあいうんだけど。早くかえってこいっての」
「ほうか、なら戻る」
おじいはやさしかった。おじいはお父さんがなんか、おもしろないと叩く人で、生傷が耐えられずということで。おじいは本当にいい人だった。小遣いほしいと、あそこにあるともってけやと、50銭の札を。ういぜよ。