台風迫るなか、春日村の生き字引、御大の話にあった、勇次郎新田、樋渡瀬に案内してもらう。場所は品又谷である。尾西集落から淀周りの分岐点を進行方向に向かって右の林道に入る。
林道の下にある樋渡瀬。樋のようになっているので名付けられたものと思われる。
春日村史の地図をもとに作成 |
林道の下にある樋渡瀬。樋のようになっているので名付けられたものと思われる。
林道終点にある看板。火越峠を越えて坂内に至る。
この辺りは、御大が若かりしころ、炭焼に山に入ったところである。
「ある雨の日だった。休んでいると、二本足でダンスするうさぎをみたのもこのあたりだ」と御大。うさぎのダンスは御大の脳裏に焼き付いているようだ。
ここから先は林道はないが、歩きにくい御影に足袋をおいて、御大の足形を掘った。御大にとっては、みかげ(花崗岩)に彫刻することなど、簡単なことなのである。弘法大師の杖の跡とはよく聞くが、御大の足跡は自ら残した足跡である。みやまに入ったら是非、御大の足跡を探してみて欲しい。地図にも記しておいた。
この辺りは、御大が若かりしころ、炭焼に山に入ったところである。
「ある雨の日だった。休んでいると、二本足でダンスするうさぎをみたのもこのあたりだ」と御大。うさぎのダンスは御大の脳裏に焼き付いているようだ。
ここから先は林道はないが、歩きにくい御影に足袋をおいて、御大の足形を掘った。御大にとっては、みかげ(花崗岩)に彫刻することなど、簡単なことなのである。弘法大師の杖の跡とはよく聞くが、御大の足跡は自ら残した足跡である。みやまに入ったら是非、御大の足跡を探してみて欲しい。地図にも記しておいた。
川にはあまごが。
しかし、杉には鹿や熊がはいだあとが、油をなめたものと思われるが、このようになった杉は枯れるのみである。山の現状を憂う御大である。
茎がさける茸は毒がないと言う。
オコギの天ぷらはうまいと言う。
勇次郎新田は、勇次郎という人が開いた水田。5枚ほどあるが、このように植林してある。合掌造りの立派な小屋があり、牛も飼っていた。
村には、丈畑、むつし、みやまという区分があり、むつしは、焼き畑に適した標高。それより高いとみやま、深山になる。
むつしに近い山の中に、水田をつくった勇次郎さんの努力やいかに。
台風が近づくなか退散。