種本の太鼓踊り 聞き書き
念仏踊りです。流行り歌。踊りは江戸中期以降の流行った歌と言われている。
「梅の花」なんて、歌謡曲です。
「鎌倉御所のお庭に、日本で一の梅の花、いつぞや姫子と道づれしたら、此の花見事な見物しよ、姫御の鎧を見てやれば、中には唐絹合いには小袖、上には涼しのかたびら、下なる小袖を拝見すれば、一重咲いては春をくみ、二重咲いては咲き乱れ、末には小黄の梅がなる、とかく此の花御所の花、娑婆はわずかな間じゃほどに、妻よ願をよのや姫御」
大原の念仏踊りとか久多の花笠踊りとかありますが、ああいうものが余呉や伊吹町を伝わって入ってきたと思う。芸能ですから。
鎌倉の御所の踊り自体が江戸中期の流行り歌だから、それ以降ではないかと言われている。
種本と寺本で競争しあって、芸能を高めてきた。種本は寺本とライバル意識があって、競争しあって。聞いた歌を憶えてそれを高める。毎日練習します。自分で。集まってやるのは1、2週間前だけど、その前から自分でやってる。拍子を憶えるのは家の中でもやってるんです。
誰が持ってきたのかと言えば、伊吹殿上の歌がある。修験の信仰の影響がある歌があって、「我は遠国草深の、芝が庵を立ち出でて、伊吹殿上の見物に、山の麓で垢離を取り」これって禊するってことですよね。で登っていって、「弥勒菩薩は石の宮、石の扉を押し開き、有難殊勝と伏し拝む」。これは修験ですよ。
修験の人たちが伝えたとは思うけど、伊吹町のものを伝えてきたかと思うけどわからんです。峠を越えていくと伊吹町に鍬なんか買いにいって。
春日の修験の寺は、中山の観音寺だけ。美束の寺は天台宗から浄土真宗になっているんです。でも、伊吹山の7、8合目で修行していた播隆上人とか降りてきて、村の人に書きつけとかいっぱい渡しているんですよ。南無阿弥陀仏という掛け軸とか残っていたりとか。
ここの踊りは道路から踊り上がる。階段とお宮さんの踊り場で組み合わせてつくるのが面白いです。お宮さんへのアプローチをうまく使っているので、本社に来る前に時間がかかる。階段を上がってくる歌があって、上がってきたら、短い歌をやる。自分たちでつくったお宮さんを褒めたたえて、褒めたたえて上がってくるんです。
踊り子は大変です。太鼓の音と、笛、鉦の音、仲間だけに合わせ、頭を8の文字に回すようにと言われているので、踊ってるときは、周りは見えなくなる。
どうしても1年に一度はここに来ないと。女性は入ってはいけないのも、修験なんだろうなと思います。