中山 鳥居の話
川合から奥の道は大正10年ごろに出来た。だから、中山の鳥居も川をひいてもってきた。
石は川合と小宮神の間でとった。
春日の人全員集めてニンプでててもらった。
川に道をつくってコロひいて、ぐうぐうと手で引っ張ってくるんや。
春日中の人がほとんどくらいひっぱったらしい。何百人て来たんだ。もともとある石を、きれいに割って持ってきた。
お宮の鳥居のところで、きれいに成形した。成形するのは石工さん。
川をきれいにならして、木をひく。その上を転がしながら人力でひっぱった。
ころっていうのは、丸い木を下にひくと、木がコロコロ回るので、これをコロという。
それまでは鳥居がなかった。ニンプを頼むぐらいだから、中山の人はお金があった。鳥居ができたのが大正10年だ。
おじいさんが、きへいといって区長をやっておった。おじいさんはこんな縄を二階においておいた。なった縄を、なって。幾重にもして、それをみんなで引っ張った。何百人。春日中から来て。
三トン。重機がなかったので、起こすのに、ぐるぐる回して。
中山に金があった。木とか炭焼きで潤っていた。中山は、集落の付近が中山の山。他の集落は、山が無かった。
中山は背負っておったもんで、ちょっと裕福。ああいう大きな鳥居が出来たと私は思う。