家の茅は萱場があった。禿山の萱場は共有地。
茅の色味方をみて、秋。茅を束に、一束、一束。青い茅だと中がむさってまって、葉がばらばらと落ちてまう。雨にもぬれないようにうらっぽをからげて。秋になるとその葉で。
茅の口っていって、11月の25日ごろ刈るようにした。11月の25日ごろに雪が降ってね。茅の葉っぱが雪で抑えられてまう。すると、立った茅があらせん。20日にしてもあかんだ。15日ごろに引き下げて、茅刈をやったもんだ。村中の欲しい人が。全部、葛屋のうちだったで。
葛屋は20年も30年もするといたんでくると、減ったところに、さして補わなならん。村中の人が行ってると思う。
7月の20日からからかりぼし刈。草を刈っては、草を干す。鎌で刈っては一つかみ刈っては置き。二日三日干すと乾くでね。それを束にしてね、進みして、春、畑もっていく。
自分の畑で刈って茶畑にいれて。春に。茶の間に敷いて。草のはえるのを防ぐと、肥料になるというので、くりかえしてやっていた。それが、生活。
マナベとか、カラムシとかは、一雨降ると、葉っぱがばらばらと降りて、軸だけになるので、量が半分になって。からむしやまなべといった、柔らかい草はよろこばれない。茅は雨が落ちんでよい。
薬草は、せんじて飲むではないし。かぜひくと、どうきやら、うつぼぐさやら、その辺のおおばこやら、ゲンノショウコ。村中にあったということもないが、夏のかりぼしかるときは、ちょっと別に出しておいて、とっておくのもあった。学校で、ゲンノショウコもってこいということもあった。ゲンノショウコを供出した。そういうのがあると出しておいてくれた。