川からせり上がる上ケ流の集落の情報でSさんが待っていてくれた。茶畑からは古い器も出る。対岸の山も見渡せる、土岐氏の時代に、戦いで殺された女郎の伝説を持つ谷も近い。
観光地となった風光明媚な風景も、誰かの生の上に立っていることを実感させられた。
Sさんは先人の営みを布や染め物のなかに込めてきた人。栽培が禁止される直前につくられた麻の糸を見付けた時は、実際に布に仕立ててしまった。
その記録のノートを見せてもらう。5センチ、8センチ、20センチと1日に織れた長さとともに、糸との格闘を残したものだ。
終戦直後、栽培が禁止された麻の糸を織物にするといっても、横糸が足りなかった。中国の真っ白いリネンを百草で染めたが、鉄の媒染を使用したこともあって、糸が切れやすかった。布を織ったのは森の文化博物館のアトリエだ。
夢の機織ができると思った佐名さんだが、トントンカラカラとはいかなかった。
「糸が切れたは結びもなるが、縁の切れたは結ばれぬ」
88歳のおじいさん。
織の音が村中に響き、古老が機織を応援していた。「独りで織り切りなさい」。「切れた糸の跡は残しておきなさい」。
「雨の日は糸がきれない」
「機をじっと見てると、昔のおばあちゃんの『おをうむ』姿がうかんでくる」
「機織の木材と麻から取り出す繊維にしか取り出せない音」
そう記している。
「麻を績むとはこの字で良いのかしら」とsさんが口にした。
私は柳田国男の「苧績み宿の夜」の一節を読んだばかりだった。
「苧の糸を績むということは、麻の皮を灰で蒸して乾かしてよく曝して、白くきれいな部分だけを、爪の先で細く割って、つないで撚りを与えて一筋の糸にして行くことで、蚕の吐く糸の細いものを五つ七つと合わせていくのとは、仕事が正反対になっている。」(苧績み宿の夜)
麻は蚕から糸をとるのと正反対の仕事と柳田が言う。昆虫と植物の違いとも言える。sさんも“績む”という言葉を麻の説明に添えている。ものづくりの人は言葉にも敏感だった。