国見峠周辺の仏像
週末、絵でも見に行かないかと誘うと、絵なんてわからないから行かないし、興味がないと断られた。
「ええ、だって、この間、仏像をみたときあんなに感動してたじゃない。」
「あれ、すごかったよね」
それは、川沿いに突如あらわれた仏像だった。その仏像は古老がずっと、行きたいといっていた仏像。この目で見たいが、山の中である。
私は道を知っていたが、古老はそうではないのではと言う。古老にはお考えがある。そこまで、自分も自信がない。川沿いにあることはわかっている。崖を急降下した。古老と女性を残して。そして、川沿いを下ると、木陰のなかに突然あらわれた。あったぞー。山師匠の声が響いた。
杉の葉は落ちているが、酒の瓶とかは落ちていて、お参りもあることがわかる。仏像の周囲を掃除。その間に、山の師匠が古老を迎えにいってくれた。待つこと30分で、古老が鈴を杖をつきながらやってきた。般若心経を唱える、古老のすっきりしたお顔。手をあわせる正しい姿勢。おもわず頭をたれた。
仏像に花をそなえた。この仏像がすばらしいのは、大きさである。この山の中にある畏怖の対象にほどよい大きさ。村の人が国見峠をこえて、買い物をいくときに、見たに違いないし、花を供えた人もいただろう。
昔話の思いが像のイメージを強くする。
「その道の下に田んぼがあっただろう。そのころでも、田んぼつくっとったんだ。その前の坂を鍋割という。仏様におそなえをもっていこうとしたら、鍋がわれた。それほど坂が急だっていうことだ。」
つい50年ぐらいまえには人の営みがあったのだ。この下には親知らず子知らずという滝がある。
錫杖や、仏像の模様を見る。模様を衣だと言うが、わたしはあばら骨だと思っている。あばら骨なら、修行僧だろう。
少し下り寝仏を見る。美束のお地蔵様と同じ石だという人がいる。
その周囲に槐の木があった。