【灯篭上げ 番外編】
灯篭上げは白山長滝神社の花奪いの一つの形であり、形からすれば、白山修験の御師たちが広めたものに間違いないだろう。
何への信仰かと言えば、他の行事同様、1年の無病息災を祈る行事である。年替えの精霊が訪れる時期でもある。この時期、火を敬う行事は多い。特に灯篭に火の用心と書いているように、火伏の意味もある。140年ほど前に大火があったようで、その名残である。なお、火伏の神様としてまつっている愛宕山は火伏の神であるが、ともに、開山は白山神社と同じ泰澄である。
白山信仰自体、全国に五千社以上と言われる神社の信仰については、おしらさま、花祭り、被差別集落との考察でも登場する。話はそれるが、キリンが来るでも、白山の水が登場していたように、霊峰の水として敬っていた武将も少なくないだろう(そめやくんが弟を毒殺する場面)。簡単に言ってしまえば白山という霊峰への信仰。最大公約数として、病気払い、水源である水への信仰と言える。
天王の病気を治した泰澄の開山(717年)の開山の記録を見れば、病気、特に疱瘡治しの意味が強い。もちろん、開山が泰澄になっているだけで、それ以前に土着の白山への信仰があったに違いない。
開山の縁起についは、泰澄が白山の頂上に昇り、緑碧池の傍らで祈っていると、池の中から九頭竜があらわれた。さらに祈ると十一面観音になり、白山信仰の本地仏は十一面観音となっている。神様はきくりひめ、黄泉の国から帰還したイザナミに禊をすすめた神様である。黄泉がえりの信仰である。私見では、白山信仰が何かとは“白”の意味するものを忘れてはならないとの指摘多数。