【下流で何が起きていたか 五百木部の没落】
続きの「美濃郡池田郡の条理」(史林 1987年)。
「池田郡司五百部惟茂解」は祖先伝来の田畑を手放す文書。売却は1035年に行われた。未納の官物のかわりに売却され、国守の所領となった。
当時の美濃国守は源頼信。源義家の祖父である。実際に請け負ったのは、郡司の宮道氏か、美濃源氏と呼ばれた一族と論文は推測している。
全国的にも11世紀前半は天然痘はじめ伝染病が猛威をふるっていた。作人の確保ができにくく、土地は荒廃していったらしい。
1035年とは当然ながら平安時代である。五百部とは、古代の豪族である。何かの事情で官物未納となったので、土地を売却した。古代豪族から支配者層が変わったことを示す文書でもある。
11世紀前半の春日下流の話。写真は徳山ダム。