【安土 安土が中心だった】
揖斐川町最奥の美束のバス通り(一応?)から離れた集落、安土。しかし、安土こそ、美束の中心だったという。
「安土の上には峠があったでしょ、いまはカットしてまったでけど峠越しでね。みんな安土をとおっていったの。安土の奥に中瀬の山があった。峠を越えて市瀬の方へ行った。中瀬の州の部落には山はねえでな。楢谷と吹谷に。吹谷に中瀬衆の山が多い。全部、安土を通って行ったんです。
貝月山のふもとじゃわな。安土は。
長者の里から下へ行くには、安土を通らなければ、どこへの行けなんだ。安土というのは安住の地。神様も仏様も多い。発心寺、山の神、南宮さん。有名な地蔵である六地蔵。
地蔵さんのあるところをおない坂。毎日、毎日、あの峠をどんだけ超したかわからない。発心寺さんのお寺の屋根ぐらいの山を登っていかなければ、高い所を通ったわけです。峠をね、荷物を背負って、毎日、毎日。
あそこを通らなければどこにも行けなんだ。滋賀県行くにも、あそこを超えて、中郷、尾西を超えて、国見峠を越えていくわけで。」
安土には正面谷がある。安土の山は貝月ということで、正面谷とは貝月に向かって正面ということだろう。安土が美束の中心だった。国見が正面に見えていた。聞き取り 80代 男性