続きの「美濃郡池田郡の条理」(史林 1987年)は、「池田郡司五百部惟茂解」を紹介した文書・9世紀の粕川流域についても書いている。
揖斐川や粕川流域は早くから開発が進んだが、洪水によって、田畑が荒廃しやすい地域だった。「日本文徳天皇実録」の記事が興味深い。
美濃の国司藤原高房が赴任したときは、安八郡の堤防が決壊されたまま放置されたまま。水の神の祟りを前任者がおそれたのだ。
流れる水をとめると神がおそれるという。しかし、高房は民衆に利するためならば、死んでも恨まずと堤を気付いた。そのような記事だ。
安八郡一体の記事であり、9世紀から10世紀に池田郡一体の様子を語る資料は存在しないまでも、粕川流域で同様の状況があったと論文は書いている。