【壬申の乱 湯沐令 春日郷】
壬申の乱に出てくる安八磨郡の“湯沐令。日本書記のなかで、割と有名な箇所だ。
昨日の続きの「美濃郡池田郡の条理」(史林 1987年)も伊福郷と春日郷の場所を推定しつつ、安八郡で思い出されるのは日本書記、壬申の乱の勃発時における有名な記事だと紹介している。
大海人皇子は村田国連男依ら3人を安八磨郡の“湯沐令”に派遣する。不破の関を塞ぐように命じたのだ。
「安八磨郡の湯沐令、多臣品治に告げて、機要を宣り示して、先ず、当郡の戦を発せ」。
よほど、信頼が厚く。朝廷との関係が深かった人がいたのだろうが、壬生郷の関係も深いが、他の郷も大海人皇子の勢力基盤であると上記論文は結んでいる。
湯沐とは皇子らの養育にかかわった人。伊福部からその職についていた人物がいた(日本書記、雄略3年4月条)。池田山の東麓、粕川扇状地がその一体であるが、春日郷も含まれる。その上流にある春日がある地域も何等かの関わりをもったのかもしれない。想像するしかない。