うさぎの耳、藤の皮、どんぐりを供出
ウサギは、結構おった。ウサギの皮を供出。ソビエトの寒いところに。兵隊の服に使う。うさぎの耳を持っていかないと証明にならなかった。くくりをかけて、いろいろあってね。 戦争の時は、藤の皮や麻を供出した。それも割り当てで。皮をむいて干して出す。役場へ出して、そこから、軍へ出すのか、県へ出すのか。兵隊さんの服に。
からむしやまなべの皮も出した。
かしつ(どんぐり)も子供に割り当て。
飛行機の燃料やって。
兄弟が多かったので、妹や弟はよう拾いにいかんやろ。俺、長男やで、その子らが持っていかねばならん。一人5升。キロでいうと7キロ。それを学校に持っていく。
それが、学校にこわいほど積もってあって、戦争がすんでまったでね。干してまってあるで、腐らんけど。廊下にあると滑る。石ころのようにね。
わしらは横着坊やってで、それを撒いまとくと、先生に叱られてな。
それでも、拾わなならんときは、1斗が一升マスに10杯。3斗ぐらいないとね。
激しくなったのは、18年の中頃から19年にかけてやろうね。2年ばかり。秋落ちたやつは。干すのも家で干してね。手
かけるのをいらんようになってから、先生が持ってこいというで。
兄弟の下の子に持たさなならんで、わしら毎日、どんぐり拾いや。それが、ようけ拾えんのや。みんな、拾ってるので、あかせんのやで。俺ひとりならあるよ。たももキレでこしらえたのでやれたけど、川の中にあるのは取れん。川の中まで行った。
いまでもね、栃の実をば、主食にして食べる時代があったやで。いまでも、とちわらけんじょう。とちけんじょうっていって、栃ノ木だとすると、栃ノ木だとすると、うちの山だとすると、栃ノ木はよその人の木だとすると、とちわらけんじょうといって、その枝がはえているのはその人の権利。いまでも、それは、権利書がどうとういう話もあるのではないかな。
栃ノ木だけだ。春日中にある。美束にもあるし、伊吹山の下にもあるね。栃ノ木一本だと思っても、栃の実が落ちるところは、その人の権利。実をばそれだけ大事にしたというのは、米がなくて、栃の実を大事にした時代があったんだろうね。
川村 源一さん(2021)